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2008/04/25 国内の格差を糧に成長する中国
国内の格差を糧に成長する中国                東京大学社会科学研究所助教授 丸川 知雄 中国はすでに10年以上高度成長が続いているが、こうした成長が長期的に持続可能
2008/04/25 中国国内 民族問題
チベット騒乱「民族問題は安保問題」                   星野昌裕・静岡県立大准教授                   産経新聞2008.4.10 17:37 以下引用―

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国内の格差を糧に成長する中国

国内の格差を糧に成長する中国
              
東京大学社会科学研究所助教授 丸川 知雄



中国はすでに10年以上高度成長が続いているが、こうした成長が長期的に持続可能かどうか、この成長が始まった1990年代前半から常に疑問が投げかけられてきた。最初の頃は、食料供給能力を問題視する意見が多かったが、その後中国の食糧生産が予想外に伸びてむしろ過剰になったため、この意見は聞かれなくなった。また、エネルギー供給能力を問題視する意見もある。たしかに中国が石油の大輸入国になる可能性は高いとしても、それは内陸の石油資源を開発するよりも中東などから輸入した方が現時点では安いからであるし、輸出が年々成長しているため石油輸入代金に困ることも当面ないだろう。こうしてもろもろの悲観論は時の経過とともに風化してきたが、そのなかでなお根強いのが中国国内の所得格差の拡大がいずれ成長を阻害するのではないかという意見である。

 一口に所得格差といってもいろいろあるが、中国ではあらゆるレベルの所得格差が拡大基調にある。まず沿海部と内陸部の地域間所得格差がある。1人あたりGDPが最も多い上海市と最も少ない貴州省の差は12倍を超えている。都市と農村の所得格差も拡大中である。さらに、同じ都市のなかでも富裕化する階層(企業経営者、弁護士、進学校の教師)と貧困化する階層(国有企業の一般労働者、特に失業した者)への二極分化が進んでいるし、農村では村の幹部が農村企業のオーナーをも兼職し、農村社会の政治力と経済力を一手に握る例も増えている。

 ただ、所得格差が成長を阻害するのは、それが政治問題となり、国内が混乱するときであろう。では所得格差が政治問題化する可能性はあるのだろうか。沿海と内陸の格差に関しては、実際に地方政府間での綱引きがあるが、数年前から始まった「西部大開発」によって内陸部に財政資金が重点的に配分されるようになったので、いま以上に政治問題化することは当面考えにくい。階層間格差の拡大の方が潜在的にはより大きな影響を持つ可能性があるが、今のところ貧困化している階層の利益を代弁する政治勢力がない。

 地域間の所得格差や都市・農村間の所得格差が大きいのは労働市場の分断と関係ある。労働市場の分断の存在は例えば全国の各県の失業率を見てみるとよくわかる。「県」というのは平均で人口50万人ぐらいを擁する行政体であるが、県別の失業率をみると、全国の2870の県のうち72%では失業率が5%未満なのに対し、1.4%の県では失業率が20%以上、6つの県では失業率が30%を超えており、失業問題が地域的にきわめて偏っていることがわかる。なぜこのような偏りが生ずるのかといえば、例えば石炭産業の不況などで産炭地で大量の失業が生じたとき、そうした人々が職を求めて他の地域に移住することが難しいため、産炭地に失業者が滞留するからである。また、農村出身者が都市で就職することは不可能ではないにしてもいろいろな制約があるため、農村の余剰労働問題がなかなか解消しない。

 ただ、以上のような地域間、都市・農村間における労働市場の分断は、1980年代半ばまでは非常に強固な形で存在したが、それ以降は地域や都市・農村をまたいだ労働移動が次第に増えてきていることも事実である。例えば、外国資本の工場進出が非常に多い広東省農村部では、地元の人間はもっぱら外資への土地賃貸料で儲ける地主になってしまって、誰も企業で働く人間がいないから、労働市場は非常に開放的で、全国からいろいろな階層の人々が流入している。国有企業の経営悪化で失業者が多い東北地方でも、道路掃除人など3K職種は人手不足なのでそこだけ労働市場が開放されている。このように、各地方の労働市場は地方政府がコントロールできるので、どこでも地元本位に労働市場の開放度合を決めている。

 実は、こうした労働市場の分断と開放の組み合わせによって、企業の投資先としての中国の魅力が作り出されているのである。つまり、内陸部の農村は生産力が低くて多くの労働力を抱えられないにも関わらず、労働市場の分断があるためにそこに余剰労働力が滞留している。そうした人たちに沿海部の労働市場を開放すれば、彼らは低廉な賃金でも内陸農村よりはましだと考えて喜んで出稼ぎする。こうして香港から車でわずか30分ぐらいの距離にある、電力、通信、交通などの基盤施設も完備した地域で、内陸並みの月額60米ドルぐらいの賃金で労働者が雇えるという奇妙な現象が起きる。月60ドルで働く労働者というのは何も中国の専売特許ではないのだが、高度なインフラと月60ドルの労働者とが同居する地域となると中国以外にはないだろう。

 内陸部で生産性の低い農業に従事していた人が、生産性の高い広東省の外資系企業に移動すれば、それだけで両者の生産性の差が国全体の経済成長に加算される。過去20年の中国の経済成長に対する、こうした低生産性部門から高生産性部門への労働移動の貢献はかなり大きかったはずである。農村部にいまもなお滞留する余剰労働力の数は膨大で、筆者の推計によれば農林漁業に従事する3億7000万人の約半数が余剰である。この他に国有企業の経営悪化によって東北部や内陸部の都市に滞留する失業者もいる。これらはいわばダムに貯まった水のように、生産性の高い部門に移動することで中国に大きな経済成長をもたらしうる膨大なエネルギー源である。このように考えると、格差の問題は何も悲観的にばかり考える必要はなくて、経済的観点からすればむしろ成長の可能性がそこに秘められていると解釈できるのである。

http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no178/kikou.htm
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中国国内 民族問題

チベット騒乱「民族問題は安保問題」

                  星野昌裕・静岡県立大准教授
                  産経新聞2008.4.10 17:37

以下引用―

■ 揺れ動いた民族政策

 今回のチベット騒乱は、中国建国以来の少数民族政策「民族区域自治制度」に対する反発が、
何かのきっかけで火を噴いたものと考えられる。
中国共産党の少数民族政策は、おおまかにいえば

(1)建国前
(2)毛沢東時代
(3)1978年から80年代にかけての改革開放時代
(4)改革開放が続く90年代から現在-
 の大きく4期で分けることができ、同制度はこの中で生まれ、揺れ動いてきた。

 共産党はまず、1921年の結党以来49年の建国までの間、
分権的な連邦制か中央集権下での民族自治かで迷った。
結局、少数民族地域の統合を優先し、建国時に連邦制を否定した。

 当時制定されたのが民族区域自治制度である。
チベットなどの自治区、自治州、自治県からなる民族自治地方で、
少数民族を優遇し一定の権限を与える「民族自治」と、
民族自治地方内で漢族を含む各民族の平等を強調する「区域自治」を融合させたものだ。

 中国はこの後も、民族自治と区域自治のどちらに重点を置くかで悩んできた。
毛沢東時代は、民族自治より区域自治が優先されたが、
78年からの改革開放時代になると、それまで民族自治の部分があまりにも機能しなかったという反省から、
民族自治が強調されるようになった。
84年には、民族自治地方の人民代表大会(議会)のトップかナンバー2、
また政府のトップに少数民族がつくことが法制化される。


 ■ 引き締め策を強化

 しかし、少数民族による異議申し立ては鳴りやまなかった。
法律で議会や政府の民族籍を規定しても、
真の権力機関である共産党にその規定が適用されなかったことが最大の原因である。
民族自治地方の最高実力者である党委書記は結局、漢族に独占されていたのだ。

 その後、87年から89年にかけての1年半にわたるチベット問題が
共産党に、融和的な少数民族政策を放棄させるきっかけを作った。
この間、党内では事態収拾のため、愛国人士的なパンチェン・ラマ10世をラサに派遣して
チベット僧の意見を集約しようとする穏健派と、
力で封じ込めようとする強硬派のせめぎ合いが続いた。
しかし89年1月にパンチェン・ラマが死に、穏健派は行き詰まった。
同年3月に大規模なデモが起き、
チベット自治区党委書記だった胡錦濤・現国家主席は戒厳令を敷いた。

 これ以後、中国の民族政策は民族自治より区域自治を再び重視し、
少数民族の引き締めへと振れていった。
宗教、意識、言語などの統制が強くなり、中国政府はさまざまな条例などを出し、特にチベット、新疆(しんきょう)ウイグルの両自治区で
宗教に対する引き締めを一貫して行った。

 さらに中国は、社会主義で少数民族の求心力を確保できなくなったため、
少数民族の祖国観、民族観、宗教観、歴史観などの中国化を推進している。
新疆ウイグル自治区では、メッカ巡礼を厳しく規制している。
住民が中東で独立運動派に会ったり、イスラム共同体という考え方を学んできたりすることを恐れているのだろう。

 中国にとり民族問題が重要なのは、それが安全保障問題でもあるからだ。
中国の国土の64%は、民族自治地方であり、しかも周辺部に集中している。
仮にチベットが独立し、他国がそこにミサイル基地を作るようなことになれば、
中国のどの都市をも狙えることになるのだ。

 中国は、旧ソ連が崩壊へ向かう過程で、民族問題にうまく対応できなかったと考えている。
そこからも何らかの教訓を得て、90年代になると、インドやロシア、中央アジア諸国など
周辺国との関係を堅固にしていくとともに、少数民族の国内外の連携を封じ込めようとした。
同時に、警察や軍を投入し、取り締まりを強化している。

 ■ 解決の展望は

 チベット問題は、長期の共産党体制下で鬱積(うっせき)したものが爆発したものだから、簡単には解決しない。
共産党の政策は少数民族の心を掌握できなかったということだ。
来年還暦を迎える中国は、その直前に改めて国家の在り方を問われている。

 ところで、チベットやウイグルの少数民族と貧困にさらされている漢族の農民の暴動が連動するという事態は起こるだろうか。
推測するのは難しいが、中国では伝統的に民族問題か農村問題で王朝が倒れてきた。
暴動が連動すれば極めて大きな問題になるだろう。

 新たな暴動が起きそうになった際、
中国に力の源泉である軍や警察という暴力装置を行使させないよう情報の透明化を求めなければならない。
その意味で、国際社会、さらに報道機関の役割も大きいといえるだろう。

     ◇

 星野昌裕(ほしの・まさひろ) 
静岡県立大国際関係学部・同大大学院国際関係学研究科准教授。
専門は現代中国の政治外交、政治学、中国の少数民族問題。