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聖火リレー 台北で亡命チベット人の釈放要求デモ

聖火リレー 台北で亡命チベット人の釈放要求デモ2008.4.30 17:40産経

 台湾のチベット支援団体のメンバーら40人以上が30日、台北市内にある日本の在台代表機関に相当する交流協会前で、北京五輪聖火リレーで長野県警に逮捕・送検された台湾在住の亡命チベット人の釈放を求め、抗議デモを行った。

 亡命チベット人は長野市内で26日、卓球の福原愛さんら聖火ランナーの列に飛び込んだタシィ・ツゥリン容疑者。

 交流協会側に手渡された声明では、タシィ容疑者の行動は「平和な非暴力行為である」とし、拘置延長を決めた警察当局の対応に不満を表明した。(台北 長谷川周人)


死刑を宣告された父親はじめ、家族とともに命からがら台湾へ亡命した
タシィさんが
一日も早く釈放されることを願って止みません。


参考URL-「フリーチベット」の叫び届かず亡命2世 泣きながら乱入 聖火リレー 2008.4.26産経

 タシィさんは、中国のチベット侵攻後の1959年、チベットからインドに亡命し、その地で生まれた。紛争は直接経験していないが、父親の壮絶な体験がタシィさんの心に刻み込まれている。

 父親は紛争の最中、政治的理由で中国公安当局に拘束され、死刑を宣告された。しかし執行の前日、一か八か、小さな窓から絶壁に向かって飛び降りて脱走、一命を取り留めた。その後、夫婦で当時7歳だった兄を連れて2週間かけて、命からがらヒマラヤ山脈を越えたという。

 「チベット独立は両親の悲願でもある。それを実現するためには、残りすべての人生を犠牲にする覚悟がある」

 チベット難民として暮らしたインドでは、常に「どこにも所属しないホームレスのような感じだった」。しかし、ダライ・ラマ14世の言葉に接し、考え方が変わった。「チベットはチベット人のもの。暴力を使わず、平和的に訴えることで、私たちの『自由』を取り戻したい」。

 タシィさんは25日夜に長野入り。タイの聖火リレーでも抗議活動に参加したが、そのときと比べると、日本のほうがチベット支援者が多いことに驚いたといい、「応援してくれる日本のみなさんに感謝している」と述べていた。

穏健にチベット問題を訴える人たちもいた。市民団体「SFT日本」の代表を務める亡命チベット人2世、ツェリン・ドルジェさん(34)=名古屋市=らも長野入りし、「チベットに自由を チベットに人権を」と書かれた横断幕を握りしめた。

 「私たちは聖火リレーを妨害するつもりはない。ただ、中国政府にオリンピック精神に立ち返ってほしいだけ。自分の思うこと、感じること、自由に発言できる社会にしたいだけだ」

 SFTでは事前に、抗議をする場所や抗議方法について、長野県と協議を重ねていたが、ツェリンさんらの周りには、「ワン・チャイナ」と連呼し、中国国旗を翻す大勢の中国人たちが詰めかけ、その声はほとんどかき消された。

 チベットの中心都市、ラサでは中国人の人口がチベット人を超え、子供たちも中国語を話すようになっているといい、「このままでは私たちの文化や宗教は確実に跡形もなく消えてしまう」。
 この日、長野を訪れたチベット人らの多くは3グループに分かれて抗議活動に出かけた。あるチベット系中国人男性は「チベットに残してきた家族が中国の公安当局に尋問を受けており、顔や名前を出して抗議活動をするのは正直怖い」とこぼした。


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